給食当番の揚げパンの思い出
以前にも脱脂粉乳や学校給食の思い出や鯨の竜田揚げなどの昔懐かしい給食当番などの記事を書いたが、今回は揚げパンについて。
学校の給食当番で揚げパンというのがかつてあった。
給食当番での揚げパンの思い出。大阪、埼玉、千葉、そして大分。
地域によっては味付けやフレーバーが違うのかな。
給食当番の揚げパンが懐かしいものだ。
最近ではキッチンカーというのがあるらしい。
いわゆる移動販売というものなのだが、
揚げパン、メロンパン、たこ焼き、クレープなどの食べ物をフランチャイズで契約して移動販売するのだ。
揚げたてフワフワの揚げパンは旨いものだ。
福岡ではピンクのワゴン車の揚げパンの移動販売があるのかな。
福岡グルメサイトというものに「たべたし」というサイトがあるという。
学校給食で懐かしいきな粉の揚げパン。それを通信販売しているサイトもある。
気になる人は揚げパン通販で探してみると良い。
それにしても揚げパンの歌は懐かしいものだ…
軽トラで販売にくる揚げパン屋さんの歌か。
コロナで今の小学生は私語厳禁なのを知って驚く。
揚げパンの歌でネット検索していて知った。
小学生の流行ガイドとおいしい給食のドラマも知った。
脱脂粉乳と給食当番。給食世代の思い出
脱脂粉乳といえば給食を思い出す。
学校給食の三角形の牛乳パックに食パン二枚。
それも途中からである。
それ以前は脱脂粉乳が給食でよく出たものだ。
懐かしい思い出。脱脂粉乳をもしも今の世代の若者が、子供達が給食で出たりしたものならば、きっとまずい!と言うのだろうな。
くじらの龍田揚げとか食パンが当たり前の時代であった。
いまの50代後半から60代の世代だろうか。
基本的には食パンやコッペパンが当たり前だった。
たまに出る米飯給食は贅沢の極みだった。
月に一度あるかないかの米飯給食。
カレーかハヤシか。
どちらも旨かった。
あとは冷凍みかん。
何もかもが懐かしい。
いまでは脱脂粉乳の作り方さえも知らないという若者も多いだろう。
昭和40年代の給食とミルメークと初代ビックリマンとガキ大将の思い出
初代ビックリマンをご存じだろうか。
よく見るチョコレートのおまけに付いている付録のようなシールのアレではなく、初代のビックリマンである。
いやはや懐かしい。懐かしいといえば昭和30年代後半から昭和40年代の学校給食のミルメーク。
以下のウェブページは懐かしい昭和の思い出が垣間見れる。
確かに。
ミルメークにしても、学校給食にしても。
夏場などは水道水の蛇口に向かい、すぐさまがぶ飲みで喉を潤したものだ。
花火もそうだ。子供らで花火を武器代わりにして遊んだり、ゴム鉄砲や針金鉄砲、昭和40年代後期にもなれば、銀玉鉄砲も登場し、子どもらで遊んだものだ。
ガキ大将ともなれば、今の時代では親御さんらが卒倒しそうな激しい遊びもやった。ビックリマンも懐かしい。親のいぬ間に、みたいなもんだ。親の留守中にいろいろといたずらをしたりもしたもんだ。
それこそ本当にビックリマンだ。