はてさて日記(天下茶屋から河内長野駅を好むブログ)

はてさて さてはて。天下茶屋から河内長野駅、狭山池遊園地やみさき公園。大阪の阿倍野区から桃ヶ池公園、関西の下町と河内長野駅を愛する昭和の思い出・大阪探訪ブログ。はてさて日記(hatesate55’s blog)。なにわの語呂合わせは728か720か?

昭和40年代の給食とミルメークと初代ビックリマンとガキ大将の思い出

初代ビックリマンをご存じだろうか。

よく見るチョコレートのおまけに付いている付録のようなシールのアレではなく、初代のビックリマンである。

昔と今の給食の違いや今昔のビックリマンの違いなど、年代が異なるにつれて様変わりするものだが、最初期のビックリマンはチョコやシールではなく本当にビックリするものだったのです。

いやはや懐かしい。懐かしいといえば昭和30年代後半から昭和40年代の学校給食のミルメーク

以下のウェブページは懐かしい昭和の思い出が垣間見れる。



確かに。

食パンにマーガリン、くじらの竜田揚げ、脱脂粉乳。昭和40年代ではカレーライスも。あと給食でリンゴは嬉しいものだった。

ミルメークにしても、学校給食にしても。

夏場などは水道水の蛇口に向かい、すぐさまがぶ飲みで喉を潤したものだ。

花火もそうだ。子供らで花火を武器代わりにして遊んだり、ゴム鉄砲や針金鉄砲、昭和40年代後期にもなれば、銀玉鉄砲も登場し、子どもらで遊んだものだ。

ガキ大将ともなれば、今の時代では親御さんらが卒倒しそうな激しい遊びもやった。ビックリマンも懐かしい。親のいぬ間に、みたいなもんだ。親の留守中にいろいろといたずらをしたりもしたもんだ。

それこそ本当にビックリマンだ。

驚かせるからビックリマン。初代のビックリマンは衝撃的だった。学校給食もそうだ。粗末で質素かも、しれない。だがいまとは違う良さもあった。逞しさもあった。

脱脂粉乳ミルメーク。いろいろと懐かしいものですわい。